金髪の男が目一杯蛇口を捻り、洗面台に水を溜める。ある程度まで溜まった所で、左手に掴んだ男の頭を冷水に叩き込む。完璧な銀髪と肌が異物の進入を拒み水滴として弾き返すが、やがて水流に呑まれ絡んで行く。数分もして気泡が上らなくなったのを見計らうと、金髪の男は頭を引っ張り出す。開放された肺が酸素を求め喘ぐが、金髪の男は気にも止めない。
銀髪の男の呼吸が落ち着いてくるのを見計らうと、金髪の男がタオルを投げ付ける。無言で受け取った銀髪の男は水を止め、ガシガシと乱暴に水滴を拭い始めた。
「落ち付いたか?」
銀髪の男は答えない。
「アイツは何だったんだ? お前がそんなに取り乱すとは……」
「天才の我輩には大方の想像がついておるがのぅ」
甲高い老人の声が横槍を入れる。金髪の男が向き直り、銀髪の男はおっくうそうに視線を流す。
「酒神、ヌシはあの娘に見覚えがあるのぢゃろう? それも、只ならぬ仲であった……そうぢゃろう?」
胸を逸らし、得意げな顔をする老人。その程度の事ならば誰でも気がついていそうだが、酒神と呼ばれた銀髪の男は無言を通す。
自信過剰な老人は、それを肯定と受け取ったのか、より一層多弁になる。
「これまでのヌシの言動からすれば、あの娘の正体を察するのはそれほど難しくは無い。もっとも、それに気がつけるのも我輩が天才であるが故……ぢゃがな」
「本題に移れ」
今度は金髪の男が苛立たしげな横槍を入れる。
老人はやや不機嫌そうな表情をしたが、すぐに言葉を続ける。
「あの娘は既に死んでおるはずの……咬神流で言う"天刺"ではないか?」
「!?」
金髪の男が椅子を蹴る。
"天刺"
咬神流高弟―逆神―が何より優先して抹殺すべきと教え込まれる忌まわしき存在。激戦の後に死した逆神が、その力を神の尖兵として扱われる、彼等にとって何よりも屈辱的な姿。
この場に居る三人も、つい先日"天刺"と激闘を繰り広げた所である。
「単純な話ぢゃよ。酒神、ヌシはあの時申したな? 『誰なんだ? お前達に入れ知恵したのは』と。それ即ち、ヌシ得意の『奴等』か、はたまた推論かは知らぬが……まぁどちらにせよ、ヌシは『超人計画』には逆神が絡んでおる。そう察しておったのじゃろう?」
酒神は相変わらず反応を示さない。老人は気を良くした様子で言葉を続ける。
「咬神流の……逆神の力は、門外不出の秘術ぢゃ。ヌシはその裏切り者の……命じられたか自ら名乗り出たかは知らぬが、裏切り者を始末するつもりだったのぢゃろう? 所が、ヌシの予想外の人物が現れた」
「それが何故、"天刺"だと?」
金髪の男が老人に相槌を入れる。放っておけばこの老人はややこしい理屈だけで、全く本題へ移ろうとしないだろう。
「それも簡単。酒神の取り乱し方を見れば解る。もし生きている人間ならば、驚きはすれど、これ程取り乱したりはすまい。それは郭斗、ヌシの方が良く解っておるぢゃろうに」
郭斗と呼ばれた金髪の男が頷く。冷静沈着が売りのこの男が取り乱す所など、長らく……いや、一度たりとも見た覚えが無い。
老人の話にある酒神の目的が真実ならば、相手が生きている人間である限り、誰が出て来た所で酒神は驚きはすまい。咬神流の秘術を伝えられた者は限られているし、酒神はその全てを把握しているはずだ。
予定外の部分があるとすれば、彼が記憶してない人物……いや、記憶する必要の無い人物となる。
「我輩が知る限り、一度死した人間が何者かに知識を伝えるなどそうあり得る話ではない。ぢゃが、相手が咬神流となれば話は別ぢゃ。逆神には、死した後も動き続ける可能性が存在する」
「なるほどね」
記憶する必要がなく、尚且つ見知った顔であったが故、酒神は取り乱した。郭斗は頷くと、椅子の背もたれに大きくよりかかった。
(だが、腑に落ちねぇ……)
大きな違和感。
魔斗の推論が確かなら、確かに予想外の事態ではあったろう。信じ難い事ではあったろう。だが、それでも酒神があそこまで取り乱すはずがない。その違和感が、郭斗に一つの結論を導き出させた。
(そうか、そう言う事か。だとしたら……)
無言で魔斗に視線を向ける。老人は頷き、彼が導き出した推論を肯定した。
「あのガキは酒神、テメェがやれ」