武踏


其の九十 其の九十一 其の九十二 其の九十三 其の九十四
其の九十五 其の九十六 其の九十七 其の九十八 其の九十九


其の九十
登場人物 出雲一人 著 でっどうるふ

 開始の合図とともに、出雲の体が、跳ねた。
 箭疾歩。拳を前に突き出したまま、驚異的な跳躍力で地を蹴り、一瞬にして相手との間合いを詰め、相手に拳を当てる技。はっきりいって筆者がその存在を疑っている技である。誰か見せてくれ。
 間合いの外より飛んでくるため、相手の虚を突くという点においてはこれ以上はないだろう。奇襲としては有効である。だが、それもむろん、相手に気づかれていなければ、の話である。
 右腕を突き出して飛んでくる出雲の右側、その背中に回るようにして体をかわすジジイ。そしてその無防備な背後に一撃を食らわそうとする。
 だが、それも出雲にとっては計算のうちであった。飛んだ勢いのまま、空中で体を横倒しにすると、左足を跳ね上げる。

「んなムチャなっ」

 誰かが叫んだ。実際、無茶だと思う。人間の動きではない。最初から箭疾歩を見せ技として、こっちを本命としていたとしても、体がついてくるまい。
 ともあれ出雲はそれをやった。そして、今度こそ本命の胴回し蹴りで、ジジイの側頭部を打ち抜こうとする。
 だが、その出雲の計算すら、ジジイは上回っていた。出雲の左足は、ジジイの頭上を越えていた。
 そのまま振り返るジジイ。空中で姿勢を整えて着地する出雲。

 試合開始3秒後。
 両者は、3秒前に相手のいた位置に立っていた。そして3秒前に向いていた方向からちょうど180℃の方向を向いて、相対していた。
 3秒前と変わっていなかったのは、観客だけであった。

 否。
 少なくとも、出雲の内面は、3秒前の自分とは全く違うものであった。
 彼の選んだのは、奇襲戦法。相手の虚を突き、一撃必殺で相手を倒す術。
 相手は間違いなく達人。いや、実際のところは、わからない。とんでもない達人かもしれないし。あるいは思ったよりも、たいしたことはないのかもしれない。
 だが、今はそのことが怖かった。目の前の、得体の知れない相手の実力が計り知れない。どんな技を使うのか、どんな動きをするのか。
 前の試合の情報など、当てにならない。臥龍格斗との一戦、あれは明らかに反則勝ちである。土佐遼もそう言っていた。
 もしかして、本当に反則をすることでしか勝てない凡人かもしれないし、その全く逆かもしれない。
 無知とは恐怖である。

 ひとつだけ明らかなことといえば。
 自分とは違い、ジジイは3秒前のジジイと、何ら変わっていないこと。それこそ、立ち位置以外は。
 試合前にはあれほどに、何も見えなかった、その男。戦闘者特有の、気合、殺気、恐怖。そういったものが、全く見えなかった男。
 そして、試合がはじまった後も、それが全く変わっていないのである。自分が戦闘の渦中にあることなど、気がついてすらいない様子なのだ。
 それこそ、立ち位置と、向いている方向以外は。

 そんな相手と戦い、確実なる勝利を得ようとするなら、方法はひとつである。
 相手に、その全てを出させないままで終わらせること。自分が知らないことを、知らないままに、そして知らなくてもいいように、永遠に封印すること。
 自分は二の矢を持たぬつもりでいた。それほどまでに、後のないつもりで放った、奇襲戦法。
 それがはずされた今、いかにして、この相手と戦うか。いや、そもそも、戦いにすら、なるのか。
 ひとつしかないと思っていた方法が除外された今、なにか手段が、あるのか。

 ……ひとつだけ、あった。


其の九十一
登場人物 天才達 著 煉

「俺が?」

 酒神は、どこか不思議そうな面持ちで返した。
 この男がそんな表情をするのを、友人達は久しぶりに見たような気がし、内心苦笑した。
 いつも気を張り、意地を張るこの男がこのように無防備な表情を見せること、それ自体酒神が先程の混乱から抜け切っていない証拠である。
 酒神がそれ程取り乱す所を見るのは面白かったが、続けて見せられると違和感を通り越して不愉快ですらあった。
 それは、理想の押し付けとでも言うべき物であるが、認めていた男の意外な脆さに、内心ガッカリしているのも事実であった。

「そうだ。一度じゃ足りねぇんだろ。今度こそ殺してやれよ」

 まるで恋愛相談のような無責任な口調で臥龍は言い放った。
 否。実際、無責任な事を口にしているのだ。そもそも臥龍は他人の尻拭いなど更々する気が無い。そう言う男なのだ。
 対する酒神は、大きな溜息を一つつくだけだった。
 この場に居る二人の天才に、己の内心を全て見透かされたのだと、理解したのだ。

「そうだな……今度も俺の手で殺してやらなきゃな」

 そう言って酒神は、不敵な微笑を浮かべた。
 それがいつもの酒神であると知る二人は、苦笑いと微笑みを融合させた器用な表情を口元に浮かべる。
 そう。この男はこうでなくてはならない。
 常に胸を張り、策を巡らし、頭を、あるいは力を使い、己の前にある問題に全力で立ち向かい、その全てを叩き潰していく。
 そんな男でなければ、彼等は友と認めなかったろう。
 三人が互いに抱く感情は、そう言う点で共通している。
 自分とほぼ同等の能力を所持し、それで居て自分には無い物を持つ。無論、自分も相手に無い物も持っているが、それは問題ではない。
 端的に言えば親友、あるいは好敵手と評される存在として互いを認識する。
 それは、言葉にしてしまえば陳腐な物だろう。が、それが通常考えられない圧倒的な高次元で確立されている。

 互いに出会うまでの彼等を的確に表現する能力を、筆者は持ち合わせていない。
 彼等は天才と評されるだけの能力と才能を持つが故に、己と同等となり得る者を持たなかった。
 一見すればそれは孤独であったようにも思える。だがそれは、てんで的外れと言わざるを得ない。
 何故なら彼等は孤独ではない。高い力を持つが故に、彼等は孤独で在り続ける事は許されていなかった。
 最も近い表現があるとすれば、彼等は己を見失っていた。であろうか?
 己の力が誰よりも高く、より高いハードルを求めた。だが、どのような障害も彼等は障害足りえなかった。多少努力すれば、あるいは努力もせずにそれを乗り越えられてしまう。
 努力するための目標、それは即ち自己の存在意義であった。そして彼等はそれを見失っていた。
 だが今それは否定され、完全に近いほど己と近い能力、才能を持つ者が居る。時には己を超え、それを超えるための努力を課せられる。しかし、相手は物言わぬ壁ではない。常に目前に存在し、成長する好敵手なのだ。それ故、彼等はより一層己の力を高める事が出来、高まることの喜びを甘受出来得る。

 だからこそ彼等は天才と呼ばれ、だからこそ彼等は友足り得るのだ。


其の九十二
登場人物  著 でっどうるふ

 目の前の男が、自分の正体を図りきっていないことを、老人は明確に分かっていた。そして、そのことに彼が戸惑っていることも、よく分かった。

(ま、そうでなくては一回戦、あんなことをした意味もないしのお)

 少し、余計な思考もでてくる。もしあの時、自分がまともにあの若造……臥龍とかいう奴と戦っていたら、自分は今ここにいただろうか。その答えはYESかもしれないし、NOかもしれない。いずれにせよ、どうでもいいことである。IFは所詮、IFでしかない。
 それよりも、今、眼前にいる相手についてである。その彼がこの次、何をするつもりなのか、老人には分かっていた。

(むちゃくちゃ面倒なことを……しかも成功する算段なんか、あるのかのお)

 たぶん成功はしない。だが、実行させるわけには、いかない。
 仮に、彼の試みがうまくいったとしても、おそらく勝利は自分のものだろう。だが、それにより、老人が今まで保ってきた優位性……すなわち、情報量の絶対的な不足。これがなくなるかもしれない。
 知られぬことは最大の強みである。それがあったからこそ、自分はあの臥龍郭斗に完勝した……いや、勝ちを拾うことが、できた。

 その男。出雲が、構える。両手を前方に掲げ、左足を前に。
 そして一気に大地を蹴ると、前方に飛んだ。右足を跳ね上げると、その足が覆面の側頭部に狙いを定めて弧を描く。教科書どおりのハイキック。
 だが、さすがに大ぶりの攻撃であった。ガードすべく覆面が腕を上げる。そのまま、蹴り足が最高速に達する前に止める。あるいは、うまいことキャッチして、相手を地に倒す……
 はずであった。止まる直前、出雲の下腿部、膝関節より先が、さらに上がったのだ。それは、ガードする腕を飛び越え、今度こそ老人の頭を蹴りぬこうとする。
 済んでのところで、必殺の一撃をジジイが回避する。

「土佐ちゃん……今のって」
「……ブラジリアンキックって、奴ですね。」

 観客席に戻っていた土佐と山口が、つい先刻、同じ席に座ってみていた技。出雲が戦った、あの空手家が、一番最後に使った技にほかならない。

「出雲ちゃんはいつの間に、あんな蹴りを覚えたんだ?」

 山口の疑問は当然である。彼とは付き合いの長い山口であるが、出雲があんな空手の技、しかも日本人があまりやらないような技を使うところなど、見たことがない。

 その出雲は、縦蹴りをかわされた後もさらに猛攻を続けていた。
 ローキックのラッシュ。的確にガードはされているものの、構わず打ち続ける。そしてボディを狙ったミドル。顔面を狙って突き。
 いまのところ、有効打らしきものはない。だが、老人の肉体では、ガードの上からでも多大なダメージがあることだろう。

   老人の持つ技術が何なのかは誰も知らない。だが、おそらく柔道あたりだろうか。ならば組み技ではなく、打撃で攻め勝つ。出雲はそう判断したのだろうか。
 そのため、本来はあまり使用しない、空手の打撃を多様しているのである。そしてそれは今のところ功を奏している。出雲の猛攻に覆面は全く、手出しができない。観客はおそらく、そう思っていたことであろう。
 そうでないことを、出雲とジジイのみが理解していた。

 おそらく自分の意図を、この目の前の老人は理解しているのだろう。そして、その気になればすぐにでも、攻撃を止めることもできる。
 それを、あえて守勢に回っている。そのことが、出雲にはよく、分かっていた。
 だが、あえてそのことに疑問をさしはさむことは、やめにした。今はただ、目の前の男を超えることで、必死だったのである。

「……なんてこった」

 土佐は思わず、声をあげた。

「もしこれが本当だとしたら……」

 彼の眼前で、一方的に守勢に回っている、覆面の男は、このことが自分にとってデメリットでしかないことを知っている。
 その上で、あえてやらせているのだろう。

(相当に、人がいいですよ、爺ちゃん……)


其の九十三
登場人物 友人達 著 でっどうるふ

 出雲の猛攻は続く。
 上段の回し蹴り、勢いのまま続けざまに放たれた下段の回し蹴り。
 さらに突き、間合いを詰めての膝、左右のボディフック。
 だが覆面はそのことごとくを見切り、最小限の動きでかわす。
 そんな光景が、5分ぐらい続いている。
 攻める出雲も決定打がない。が、覆面も攻撃に回る機会を見出せない、一種の膠着状態。
 ほとんどの者はそう見ただろう。ごく一部の例外を除いては。

(もう少し、といったところですか……)

 彼らをよく知る土佐は、その数少ない例外のひとりであった。
 そして、戦っている当の本人が何より、例外であった。

「もう少し、といったところかの?」

 出雲の蹴りを避けた覆面が呟く。それはひとりごとというには、声が大きすぎた。明らかに、出雲に聞かせるように言ったのだろう。
 そして、その言葉はまさに、出雲が思っていたことであった。

「……」

 だが、それを表情に出す事はしない。さらなる蹴りをもって返答に代えた。

 それから正確に1分後。
 この日、何発目だかもはや検討もつかない、出雲のハイキックがガードされる。

 バシッ……

「十分、なじんだか?」

 その音を聞いた覆面がぽつりとつぶやいた。
 その瞬間、猛攻が止んだ。出雲が後方に飛びのく。ついに攻め疲れたのか、誰もがそう思った。

「ええ」

 構えを崩さぬまま、今度ははっきりと、出雲は返す。

「十分、なじみました」


「結局……」

 土佐の声には微妙な成分が含まれていた。

「ここまで来ちゃいましたか……」

 呆れているような、感嘆しているような、そんな声だった。


「行きます」
「……」

 珍しく、覆面の方が無言だった。

 再び、出雲が動く。
 一歩踏み出して右足を繰り出す。先ほどと同様、それは空を切る。が、構わずさらに体を1回転させる。下段回し蹴りと後回し蹴りのコンビネーション。
 その攻撃も覆面は足を上げてガードする。先ほどまでと全く同じ光景……

 会場が揺れた。

 ……ではなかった。
 ガードした覆面の体が後方に下がったのだ。明らかに自分から下がったのではない、勢いに押されて踏ん張りきれなかった、そんな下がり方。

「見事」

 覆面のその言葉は、ひどく満足げな響きがあった。


其の九十四
登場人物  著


其の九十五
登場人物  著


其の九十六
登場人物  著


其の九十七
登場人物  著


其の九十八
登場人物  著


其の九十九
登場人物  著


back index next


夢ノ宮奇譚は架空の物語であり、そこに出てくる人名、組織、その他は実在するものとは一切関係ありません。

[PR]動画