エピローグ


 







































「タウ」
 静かに、言葉を紡ぐ。
「生き延びろよ。行って欲しくない。だが、どうしても行くなら……たとえ全てを滅ぼしても、絶対に生きてくれ」
 唇を合わせる。別れのキスじゃない。もう一度手を繋ぐための、誓いの口付け……僅かに、血の味がした。
 どれほどの時間、そうしていただろう。ゆっくりと唇を離すと、少女は笑みを浮かべた。
 生まれて始めて目にする、優しげな微笑み。
「りょう、すき」
 その言葉と、魂に刻み込むような微笑みを残し。少女は走り去った。
 コムニーから雑音が響く中、そっと唇に触れる。
 そこに、柔らかな感触は残っていなかった……

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(まだだ、まだ、生きている。見届けなくてはならない…少しでも近くで)
 脚を引きずりながらも、少しでも速く、後を追う。
 ドッキングポートへ続く廊下。
 そこの窓から、私は一機のライオネル級A型を目にした。それは、リヴァイアサンへ向かっていた。
 幾千もの触手をくぐり抜け、ライオネル級A型はリヴァイアサンに到達する。リヴァイアサンの胴にあたる部分が大きく開き。突出した有機物の塊が、ライオネル級A型を呑み込む。
 リヴァイアサンは大きく開いた口を閉じる。もう、レーザーは放たれない。
 そして、
 コムニーの雑音が収まり、間違えようの無い、聞き慣れた声が響く。

『大丈夫です。もう、大丈夫』

 落ち着いた知性的な口調。私達の知っているつたない言葉ではない。だが、それは間違いなくタウの声だった。
『私はリヴァイアサンを支配下に置きました。でも、今は維持で精一杯。機構軍に対して強力な攻撃行動を行うには、もっと支配が進まないと―――』
「いや」言葉を遮ったのは、もう一つの聞き慣れた老人の声。「鎮静させてくれただけで十分じゃ、ありがとう。皆に代わって礼を言おう」
『いえ、わたしは』
 老人の言葉を少女が遮る。柔らかい言葉。
『当然のことをしただけです』
 全身を撃ち抜かれるよりも激しい痛み。
 心臓が悲鳴を上げる。いや、心臓から苦痛その物が伝わる。
(リィン…俺を、責めているのか?)
 あり得るはずのない苦痛。心臓ではなく、胸全体が痛んだ。
 苦痛に耐えきれず、私はガラスに額を打ちつける。赤い液体がガラスを伝うが、その向こうに見える少女を隠すことはなかった。
 少女の名を呼ぶ。その声が震えていることに気付いた。だが、構わず呼び続ける。美しく透き通った少女は、あの時と同じ優しい微笑みを浮かべていた。
 その笑みは、苦痛をより激しい物へと変える。
(痛い、いたい、イタイ。クルシイ、くるしい、苦しい)
「あ、ああ、う…っく……あああぁぁぁ………」
 苦痛は既に、全身へと広がっていた。身動き一つ出来ず、声も言葉にはならない。が頬を伝い、床に落ちる。
(誰か)
 無意識に、助けを求める。
(誰か!だれか!!ダレカ!!!)
「タウ……」
 あり得ない助けを呼んだ所で、俺達の意識は途切れた……

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「そんな、それじゃあタウは」消滅してしまう……抗議の声、女の声。
 その声で、私は目を醒ました。ホビットのモニターがONになり、最大ボリュームでブリッジの口論が生中継されている。ご丁寧にコムニーのスイッチまで入れてある。
「青海崎め……」
 私をここへ運んだらしき人物の名を呟く。わざわざこんな事をしていく人間は彼しか思い浮かばない。
(俺の側には居たくない。しかし、俺には今回の事件を見届ける義務がある。そんな所だろう……)
 そこまで考えた所で。私の思考は停止した。
 再び、その声を聞いてしまったからだ。
『いいの、フィリアお母さん。わたしが自分で決めたことだから』
 聞き慣れてしまった声。そしてあの時、居住区へ続く廊下で一度だけ聞いた声。決意を含んだ……死を、覚悟した声。
『必要なエネルギーを発生させるにも、防護膜を張らないといけないの……ペルセウスミラーがエネルギーを取り込む前に、水星圏ごと対消滅で消し飛んでしまう可能性があるから』
 声は続ける。自分が防護膜になる理由を、そのための計算を
「ステーションのシステムを取り込んだんです。フェイドラが組み込まれているような物ですから、恐らく、彼女の計算に間違いはありません」
 言いづらそうに告げる男。それに黙って頷く瀬田リーダー。
「そんな……」
 女は泣いた。そこでようやく、先程抗議の声を上げ、今涙している女が。タウ達の母親役、フィリア・セラフィールドである事に気が付いた。
 子を失った母の多くは泣くという。それが真実だと言うことを、私は初めて知った。たとえ血の繋がらない、偽りの家族であったとしても……
 私は無意識に、胸を掴んでいた。再び苦痛を発しだした胸を。
『泣かないで、お母さん。プロテウスとカルヴァンクルスに基づいて医療用に特化したわたしの一部を、β基地へ提供したから。多少の調整は必要だけど―――それを用いれば、アルファ達は長く長く生きていけるの。だからどうか、泣かないで』
「どうして」
 フィリアの隣で泣いていた少女……ハルカ・P・ウェイランドの小さな、コムニーが無ければ聞き取れなかったであろう程小さな声。
「そんなに優しいの」
 そして帰ってくる優しい声。
『家族だもの。当然でしょう?』
「「タウ―――」」
 俺達の声は、自然と重なった。
 そして私達は、再び苦痛のもたらす闇の中へと落ちていった。

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 それから……わずか三十分後。
 私は再び、ホビットのモニターを見つめていた。
 計算よりも二日早く、太陽が膨張を開始したらしい。
 それを察知したタウは、セレスへと向かい。早まった以外は予定通りにセレス基地と反物質を対消滅させ、そのエネルギーを押さえ込む防護膜となる。
 その様子は、β基地内全てのモニターに映されているらしい。誰一人、見逃すことの無いように。
 タウの声を聞いた時からの苦痛は、未だに収まることなく続いていた。いやむしろ、より激しい物となっていた。
 やがてリヴァイアサンは太陽へ落ちていくセレス基地と融合した。リヴァイアサンの胴に所々空いた穴から対消滅の光が覗く。リヴァイアサンの船体を魚だと例えるなら、その背にあたる部分からタウの上半身が現れる。
 タウは、こちらを振り返り、口を動かす
『さよなら』
 俺には、その声までが聞こえたような気がした。
 ほぼ同時に、タウとセレス基地は太陽の光に消えた

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 太陽の膨張に伴う光量の増加に耐えきれず、カメラはカットされた。ホビットには質量の増加を表す赤いドットの塊が表示された。
 タウは死んだ。
 認識が、ゆっくりと全身に染みわたっていく。俺の手は、懐からブリッツを取り出していた。
(もう、俺が生きる理由は消えてしまった。たとえ人類が生き延びても)
 愛したあの娘はもういないのだ………
 銃口をこめかみにあてる。引き金を絞る。
 が頬を伝うが、気にはとめない。
 あと数ミリ、指を動かせば。私はタウの元へ行ける……そう考えた瞬間。
「…………!!」
 暖かい何かが、全身を包んだ。
 一瞬だけ見えたビジョン。背が高く、髪の長い青年。十字架のピアスが妙に印象的だった。
「ナイル……」
 一瞬だけだが、全てが見えた。その青年の名はナイル・ファルケ…………私のネイバー。
 彼は、幼なじみの少女に会うために宇宙へ飛び出した
『あのこはおほしさまになった』
 そのたった一言を信じて。
「…君が君のおほしさまを見失わないように…きっとだいじょうぶ神は愛するものを守ってくれる…」
 それが、その青年からのメッセージだった。
 お互いがネイバーだとは知らないのに。しかも、今彼は星空の彼方。こじし座20番星にいると言うのに。俺達の心は繋がった。大切な人を失い、その人を渇望し続けた心が。お互いを引き寄せたのかも知れない。私は、彼が私のネイバーである理由がなんとなくわかったような気がした。
 初めて知ったネイバーとの交流は、俺に小さな可能性の種を与えた。たった二人から無限に連なり続ける巨大な光の筋の先、そのウチの一つが持っていた物……
「出来るかもしれない」
 俺は、ブリッツを懐にしまい。ホビットを起動した。

@        @        @

 私は、ホビットの電源を落とした。
(これで良い。後は、時を待つだけだ)
 あれから約半日が経過していた。
 スクゥードの元へ連絡を取り、『バルツィバル』の活動内容を発案する。
 私自身、これが通らないのなら。自分達一人でやるつもりでいたが、意外にもスクゥードは快く承知した。
 私達が考えた活動内容と言うのは、死者再生……つまりは、タウの復活。
 ビデオゲームのように簡単には行かないだろう。それでも、勝算はあると私達は踏んだ。
 ホビット以外に光源の存在しない部屋で一人呟く。
「『バルツィバル』の名を考えたのも私だが、研究の内容もついには死者の再生にまで手を伸ばした。私はひょっとすると《酒神》ではなく《逆神》なのかもしれないな……」
 苦笑じみた言葉。しかし、
(あれがタウの運命だったと言うのなら、運命を生み出したモノを全て消し去ってやる。太陽、シルマリル、リヴァイアサン……貴様らは)
「絶対に許さない」
 太陽よりも熱く、宇宙の深淵よりも暗い憎悪を隠した上での言葉。
 立ち上がり、壁へ進む。そこには

《キリストの聖杯をこの手に》

 と、書かれた一枚の紙が貼られていた。ウェスリーが半ば無理矢理に貼っていったそれは、『バルツィバル』の活動目標だった。
 いつもならこう言った物はすぐに剥がして捨ててしまうのだが、この紙だけは剥がすことなく残し続けた。何故かは解らなかったが……不思議と嫌いではなかった。
 だが今、私はそれを無造作に破り捨てた。
 そして、ブリッツを取り出し。出力を弱めたレーザーで壁にこう、刻み込んだ……

彼女と供に
《With her》

 何処へでも、いかなる手段を用いてでも。二人といない、愛しい少女と供に……


TO BE CONTINUED

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