二人…酒神了


 

カッカッカッカッカッカッ………………

(相変わらず無愛想な通路だ……)
 人の気配の感じられない静かな通路に、靴音が一つ響いている。
(いや、無愛想なのは私の心か……)
そう、思い直す。とりとめのない思考……ぼんやりと、長い廊下を進む。
 シルマリル。ハンプティ・ダンプティβ基地と呼ばれる、巨大な爆弾にして至上の宝石。その中の端にある小さな通路を、私達は進んでいた。
 そう、『私達』。靴音は一つしか聞こえないが、この通路には二人の人間が存在していた。一人は私、酒神了と呼ばれる男。もう一人がこの靴音の主、スクゥード・ソウン。
 私は、無意識のうちに靴音を消して歩いていた。いや、靴音以外にも一般に気配と呼ばれる物は全て消していた。
 これに何か深い理由がある訳ではない。かつて、気配を察知されることがイコール死に繋がっていた世界で身につけた習慣が、未だに体に残っているに過ぎない。
 しかしその行動は、結果的にこの通路を歩いている人間を一人だけと錯覚させる奇妙な心理作用を及ぼしていた。
 恐らくは私の隣を歩く男、スクゥード・ソウンも同じ様な心境なのだろう。
 彼は、まるで私の存在を確認しようとするかのように唐突な言葉を発してきた。
「俺達の研究は成功するんだろうか?したとしても、超新星化…。無駄なあがき…か?」
 研究と言うのは、私達が参加しているWG『バルツィバル』で行われている四人のクローン少女 ―― タウ、ツェータ、アルファ、ミュー ―― の延命研究のことだ。クローニングや成長促進の影響で、彼女達の残り寿命は10年しかないと言う。
 彼女達を長生きさせたい。せめて、普通の人間と同じ寿命を与えてやりたい。そんな事を考える輩が自然と集まり、WG『バルツィバル』は誕生した。
 『バルツィバル』と言う名の由来は。宗教家と言う世界最古の詐欺師に騙された一部の連中が「神が定めた寿命を、神に作られた存在が変える事など許されない」と、理解不能の理屈をさぞ誇らしげに語っていため。理屈をこねている連中の中で最もメジャーな宗教の伝承にあり。永遠の命を与えると言う『パルツィバル』をもじり、宗教などと言う下らない物を信じる彼等を皮肉った物だ……話が逸れた。
 しかし、太陽超新星化と言う【絶対の死】は目前に迫っており。これを防ぐことが出来なければ仮に研究が成功したとしても、彼女達を含む太陽系全ての存在が消滅してしまうのだ。
 スクゥードの言葉は、そんな逃れようの無い事実も影響しているのだろう。
「別に私はあがいてる訳じゃないぞ、この研究を完成させることだけを考えている。それに、無駄だと思うなら何故君は研究を続けている?」
 私は、この男の疑問に疑問を返し、討論に興じることにした。
 何故そんな事を考えたのかは解らない。ひょっとすると、私の中にもこの男と同じ様な疑問が浮かび上がっていたのかも知れない。
「何故?…なぜだろうな。進むたび、日が変わるたびに絶望が広がるような気がな…」
 男は立ち止まり、壁にもたれ掛かって天井 ―― その先に存在するハンプティ・ダンプティα基地、すなわちシルマリルの方向 ―― を見上げる。
「……なぁ、スクゥード。この、巨大で物騒きわまりない宝石の別名を覚えてるか?」
 言いながら、俺はスクゥードの視線の先 ― 天井 ― を指さす。その先にあるのは……そう、シルマリルだ。
「シルマリル。………『希望』だったか」
「そう。そしてこれは超新星化を防ぐ唯一の希望……と、人は言ってるがな」
 そう、基地が動き出す直前のあの時。私も又、青海崎恭一郎にこの宝石を『希望』と説いたことがあった。だが
「その実俺は、この宝石を希望だなんて思った事はない。何故か解るか?」
 僅かに間をおいて、そう問いかける。
 シルマリルが希望ですらないと言われた事実が、スクゥードには随分と不思議だったようだ。その心境は、表情から面白いほど見て取れた。
「……シルマリルではなく、それを使うプロジェクト。すなわち、人こそ希望」
 しばしの沈黙の後、返ってきたのは教科書で百点満点を貰うための答え。いわゆる綺麗事だった。いや、スクゥードを初めとする『バルツィバル』のメンバーに聞けば殆どの者から同じ答えが返ってくるだろう。"情に厚い"ハンプティ・ダンプティ基地とは、そう言う意味でもあるのだ。
 だが、綺麗事は私の領分ではない。私は、僅かに首を振ってその考えを否定した。
「違うよ……超新星化対策が失敗すると思ってないのさ。希望ってのは、絶望がなければ成立しないだろ?」
 軽い口調で言い放つ。
「絶望していないから、希望は存在しないか。らしくもなく楽天的だな。それとも、強い…と言うべきか」
 言われて初めて気が付いた。
 そうだ、少し前の私なら考えもしないことだった。かつての私なら僅かでも確率の高い方を信じ、他人の希望的観測などあっさりと叩きつぶしていたはずだ。
 このような答えを出すのは私ではなくむしろ、ウェスリー・ハインや目の前にいるスクゥード・ソウンだ。俺の口はなぜこんな事を言い出したのだろう?いや、これを言っているのは私ではない。
 その時確かに、私の中にはもう一人の俺が存在していた。
 私の戸惑いをよそに、俺の口は言葉を紡ぐ。
「楽天的か……確かに、俺はいつからこんな考えをするようになったんだろうな………だがな」
「だが?……だがなんだ?」
 スクゥードがやや苛立った声を出す。当然だ、同一人物であるはずの私にすら真意が読めないと言うのに。人並み外れて察しが良いとは言え、あくまで別人であるスクゥードに解るわけがない。
「超新星化すら±五日と言う誤差がある。明日なんて、本当は誰にも解らないのさ……だったら、自分が出来ることを精一杯やるだけだ」
 もう一人の俺は言葉を紡ぐと同時に、心の中にいる私にも同じように語りかけてきた。いや、口から発している音も、本当は私に向けられた物なのかもしれない。
「明日を、少しでも自分が理想と思う方向に近づけるように……」
 その言葉は、発言者自身に言い聞かせている言葉だった。
 そうだ。俺は、明日を確定した物ではないと知っていたんだ。若く、美しかった人間が翌日には腐った肉片になっているさまを何度も見つめてきたのだから。当然、その逆に死ぬ予定が変わることだってあるはずなのだ。
 もう一人の……いや、まぎれもない私自身は。それを思い出すきっかけを探していたに過ぎなかったのだ。
「求める未来をつかむために……。悪くないな」
 そう言って、スクゥードは私の方に向き直る。その表情はやや軽くなっていた。また、彼だけでなく。私自身もいつものペースに戻っていた。
 悪戯っぽい表情を浮かべると、彼が一番困りそうな質問を投げかける。
「で、君が求める未来はなんだい?」
 ツェータとの仲を面白おかしく噂される今、この質問は彼にとって最も避けて通りたい質問のはずだ。
「共に生きる未来。……了の理想は?」
 しかし、その問いにはあっさりと答えを返され。それどころか、逆に痛いところを突かれる羽目になってしまった。
(困ったな、なんて言おう……)
 きっと、その時の私の考えは表情にも出ていただろう。だが、俺は知っていた。この問いには決して嘘をつけないことを。頭を引っ掻きながらも、俺は正直に答える。
「…………あの娘の……明日だ………」
 答えると、私は明後日の方向を向いた。やれやれ、まるで純情坊やだ。
「あの娘…だけの明日?」
 スクゥードの声は、やや弾んでいた。『だけ』と言う言葉を強調している当たり、私をからかっているのだろう。しかし、そう簡単にからかわれてやる程私はお人好しじゃない。
「さてな……君はどうなんだ?」
 いつもの無表情に戻してから振り返ると、別の形で問いかける。
「共に、と言ったのそういう意味だよ」
 あの娘の事を示しているような、示していないような答え。上手いかわし方を考えついた物だ。そして、その表情は私に同じ問いを投げ返していた。
「…………二度も……失いたくないだけさ……その先は考えてない………」
 俺は、率直な答えを口にした。明日が判らない以上、現段階でそれ以上先を見る価値は少ない。
 それでも、私の目は無意識のうちに遠くを見ていた……だが見る価値が少ないと判っている以上、長時間見続ける程私も暇ではない。即座に次の言葉を繋ぐ。
「明日の事は明日考えるさ」
 その時の俺の表情は、自然と笑みの形になっていた。
「なら、その明日を、理想のものにする為にも」
 明らかに返事を期待している言葉だ。いつもの私ならあまりに陳腐過ぎて応えることはないだろう。だが、今の俺なら
「ああ。作ろう……聖杯を……『バルツィバル』を……」
「俺はツェータの為に…」
「私はタウのために」
「「この研究を完成させる」」
 俺達は、図らずして同じ言葉を口にしていた。
 そう、私達が作ろうとしているのは永遠の命をもたらす『パルツィバル』ではない。彼女達を人並みに生き延びさせるためだけの模造品『バルツィバル』。
「絶対にだ」
「当然だ……二度も大切な人は失わない………」
 決意を露にするスクゥードに対して、小さく呟いた私。私は無意識のうちに、もう一人の【大切な人】の事を思い出していた。
 私をあの家から連れ出した住み込みの女性教官。私に生存と戦いのノウハウを教え、私を助けようとして命を落とし、今は私の心臓として生き続けている女性。そして何より、私に『自由』を教えてくれた女性(ひと)。リィン・リースフィールド。
 そうだ、リィンの亡骸と対面したとき。あくまで無反応だった俺は、本当は心の中で……。
 しかしあの頃の俺は、その感情の正体を知らなかったのだ。それを表す術も持っていなかったのだ。
 それでは、今の私はどうだ? ひょっとするとまだ……
「……しかし、おまえから優しい言葉をかけられるとは、ちょっと前じゃ信じられないな」
 スクゥードの言葉と微笑みで、私は現実の世界に引き戻される。
「優しい言葉?気のせいだ。君のためじゃなく、私自身のために言ったんだからな……」
 慌てていつもと同じ調子の皮肉を返す。
「やっと、らしくなってきたな」
 しかし、かえってスクゥードを喜ばせるばかりだった。
「あ、いや、その……一緒に研究する奴がそんな事言ってると迷惑だからな」
 急に、それまでの自分の台詞が恥ずかしい物だったように思えてきた。表情には出てこないが、私はかなり動揺していた。
「あはははは………わかってるよ。このままじゃ、俺が使えないから、だろ?」
 しかし、そんな内心も。人並みはずれて勘の良い、この男にはお見通しだったようだ。いや、今にして思えば。顔に出ずとも言葉にはありありと現れていたのだから当然か。
「そう、そう言うこと。じゃ、とっとと研究室に急ぐぞ」
 これ以上墓穴を掘るのを避けるためには、さっさと目的を果たそうと促すのが一番だ。
「ああ、急ごう」
 相変わらずにこやかに笑っているスクゥードに、私はなにやら釈然としない感情を抱いたが……

@        @        @

 「!!!!!!」
 男の悲鳴が聞こえ、私の思考は中断された。その後に続く轟音は非常事態であることを確信させる。
 私達は即座に顔を見合わせ、頷き合う。お互いの行動を口で確かめる必要はない。
 私は現在、WGの戦闘に関する行動の全指揮権を与えられている。そして私は非常事態におけるWGメンバーの役割行動全てを独断で決定し、『バルツィバル』及び『家』の面々に通知してある。
 その決定に従い、スクゥードはコムニーでSGへ連絡を入れる。私はブリッツを抜き、エネルギー残量を確かめる。
 エネルギーはFULLの値を示していた。普段から整備を欠かしていないのだから、これは当然の事だ。この行動の本当の意味は、私の思考スイッチを切り替えること。
 WG『バルツィバル』メンバーの一人『酒神了』から、最強の傭兵部隊『ナイトメア』の一員だった『銀髪の悪魔』へと……
 悲鳴の出所は居住区B地区の端、もうこの先には何もないと言う場所だ。
 だが…いや、だからこそ。非常事態の内容は予想がついている。
 宇宙開発機構軍
 現在、最も激しくフェデレーションと対立し。また、この宇宙一物騒な宝石―シルマリル―を喉から手が出るほど欲しがっている連中。全面対決はもうしばらく先の話だが、予め何らかの仕掛けをしに来ていたとしても不思議ではない。
 どこからかこの基地の地図等が漏れ出ていたと仮定すれば、誰もいないそこは絶好の揚陸地点だ。轟音の正体は、進入のために基地に穴を空けた音なのだろう。基地の端の端、ほぼ完全な無人区域ならそれ程の力技でも気付かれる可能性は低い。兵法のテストとしては0点だが、虚を突くことこそが最高戦術である戦争としては満点だ。
 急がねば、もう既に仕掛けを済ませた後だったら手遅れになる可能性がある。それでは俺達が守ろうとしているモノも……
 俺の心に、焦りが生まれる。だが、無理矢理に押さえ込む。
 焦りが外面に出てしまえば、戦争に置いて命取りになる。ましてや現在、俺はWGの戦闘を任されているのだ。上官が焦りを見せれば内部の者全てに感染する。そして俺が死ねば、戦える者の少ない『パルツィバル』と『家』が生き残る可能性は殆ど無くなる。
(重い……自分や兵士仲間以外の命を預かると言うことは、これ程までに重い物なのか?自分の命すら、自分一人で抱えられないなんて……)
 生まれて初めて、プレッシャーと言う物を私は感じていた……私は、まだ死ねない

@        @        @

 唐突に、頭上に奇妙なプレートが現れる。そこには日本語で『湯』と書かれていた。瀬田リーダーの趣味だろうか?
「何だ、この象形文字は?」
 スクゥードが不審そうな声を上げる。そりゃそうだ、俺だって不思議でしょうが無い。
 内心の焦りを余所に、俺が知っていることを手短に説明する。
「浴室っていう意味の日本語だ。漢字って文字だが……ともかく、行くぞ! 機構の工作員なら、ここで食い止める」
 そうだ、食い止めねばならない。叫んで、スクゥードと自分自身を鼓舞すると。俺は、ドアの開閉スイッチを押す。
 開いたドアの向こうから何かが飛び出し、俺を弾き飛ばす。背中を思い切り打ち付け、一瞬呼吸が止まりかける。間を置くことなく、何者かが俺の上にのしかかる。そのまま止めを刺すつもりなのだろう。息が詰まり掛けたが、気にすることなく。即座にブリッツを相手に突き付け、引き金を搾る。
「りょう、りょうだ!」
 聞き覚えのある、嬉しそうにはしゃぐ声。この声は―――
「タ、タウ!?」
 対象が敵でないことを確認した俺は、慌てて腕を振って銃口の焦点を外す。それからようやく、反射行動だけだった俺の思考が開始する。
「どうしてタウが」
 言葉になって漏れ出していた思考が、再び停止する。タウが何も身につけていないことに気付いてしまったからだ。
 パニックに陥り掛けるが。タウの髪から滴る液体が顔に落ち、それを止める。ドアの上にあったプレートに書かれた文字の意味を再び思い出し、結論に到達する。
(そうか、フロに入ってたのか)
 僅かに落ち着き、思考が再開する。
(聞いたことがある。瀬田リーダーが趣味で作った大型浴室が、基地のどこかにあると。あのプレートは、ここが噂の発信地点である事を示していたのか……)
 冷静になって首を巡らすと、タウと同じく全裸のツェータがスクゥードの首からぶら下がっていた。
 首に手を回されたスクゥードは、顔面蒼白になっている。
(に、しても……)
 俺は頬がどんどん熱くなるのを感じた。
 顔を正面に戻せば全裸のタウがいる。その裸を見ないためには、顔を見つめるしかない。
 青い、吸い込まれそうな瞳。それを見つめていると、何故か頬が熱くなる。
(……どうした俺。これじゃあ)
「これじゃ、まるでチェリーじゃないか」
 恐らく真っ赤になっているであろう顔を左手で押さえ、言葉を漏らす。見なければ、冷静になれるかも知れないと言う甘い期待を抱いて。
 だが、俺にのしかかっている少女は。そんな時間を与えてはくれなかった。
 胴に腕を回し、抱きついてきたのだ。
「!」
 俺はほぼ完全なパニックに陥り、言葉を失う。
 タウは、嬉しそうに俺の胸元に顔を擦り寄せる。制服越しに伝わる柔らかい感触に俺は凍り付く。
 この時俺は、偶然にも。ボディーアーマーをせず、未改造の制服を身につけていた。
(ふむ、まだ発育途上だが。いや、それでもなかなか……)
 男のサガだろうか?私の中の冷静な部分はそんなことを考える。それともそんな事しか考えつかない程、パニックに陥っていたのだろうか?
(いや、それ所じゃない。早く引き剥がさねば)
 冷静な部分が、ようやく正常な答えを出す。俺は何をやってるんだ……
「お、おい。タウ」
 慌ててタウの肩に手をやって押しのけようとするが。
「あ……」
 私は気が付いてしまった。俺は気付いてしまった『それ』を呆然と見つめる。
 手。右手。
 銃。
 俺の右手は、まだ銃を手放すことなく。引き金を搾った状態のまま硬直していた。人を―――タウを殺せるままの状態で………
(所詮、人殺しは人殺し。その宿命から抜け出すことは出来ないのか……?)
 暗い…いや、黒い。絶望のような思考と感情……
(この手で、タウに触れてはいけない。人殺しの手が、未来ある者に触れてはいけない……)
 奇妙な…しかし絶対の強制力を持つ思考……

@        @        @

 左手一本でタウを引き離そうと悪戦苦闘しているところ。脱衣所の中から、バスタオルを身体に巻いたフィリア・セラフィールドが出てきた。
(助かった)
 ようやく現れた救援に、俺は安堵する。
「さ、酒神くん、ごめんなさい!タウ、ほら、酒神くんが困ってるじゃないの」
 タウの肩に手をかけ、引き離そうとするフィリア。しかし、その直前に私の右手に目が止まる。いや、正確には右手の銃に気付いたのだろう。
 しかし、彼女は何も言わずにタウを引き離す作業に戻る。
 それが私には、無言の抗議のように感じられた。
 フィリアまで来たとあっては、タウも身を離さずにはいられない。体力だけなら二人がかりでも無理だろうが、相手は『母』なのだ。
 一部例外を除いて、子供というのはいくつになっても母には勝てない……らしい。乳離れと共に母から離され、英才教育を受けさせられた私には。母の記憶など無い。
 フィリアは、私の後にスクゥードも助けると二人を連れて浴室へ戻っていった。三人の表情からして、お説教が待っているだろう。
(さて、いつまでもパニックになってる場合じゃないな)
 スクゥードは未だ固まっている。少し緊張をほぐしてやる必要がありそうだ。私は、口笛を吹くと
「なかなか絶景だな。なぁ、スクゥード?」
 軽い口調で視線を浴室内へ移させる。中をゆっくりと見回し、轟音の正体を確かめる。機構軍の仕業ではないとまだ断定は出来ないのだ。ごく、低い可能性ではあるが……
 小さなロッカー、意味不明の受付のような物、大きな鏡に竹のような物を敷き詰めた床……
(なるほど、それで『湯』か)
 銭湯……私自身、知識としてしか知らないが。日本にはそう言う名の共同浴場があり、その入り口には『湯』と書かれたプレートが掲げられているらしい。
 こうして落ち着いてみて見ればなるほど、写真で見た『銭湯』とよく似ている。しかし、轟音の元のような物は見あたらない。
「ああ、そうだな」
 まだ少しパニクッてやがるな……まぁ、良い。
「この風景を見ろよ」
 視線は、浴場内へ向かう。
 良く滑りそうなタイル張りの床、小型のシャワー、隅っこに大量に積まれた黄色い桶と椅子、なにやら薄暗い個室、個室の脇にある冷たそうな小さな湯船。そして、床に転がる数名の裸の女達。
(なんだありゃ?)
 私の瞳は、ようやく轟音の正体らしき物を映し出した。
 壁に穴が空き、水が噴き出している。壁の穴毎に、薄い壁でしきってある。プールで同じような物を見たことがあるのを思い出した。
 どうやら、元はシャワーだったらしい。どうやったらあんな風に壊れるのか……
 そこまで考えた当たりで、隣から声が帰ってくる。
「被害が大きいな。何があったのか…」
 私は、思わず溜息を漏らす。
(女の裸がいくつも転がってるって言うのに、いの一番に気にすることはそれかよ……)
 私自身、あまり人のことは言えないのだが。この時は、スクゥードの言葉に呆れる方が先だった。
「あれだろうよ」
 崩壊したシャワー(らしき物)を指さす。それを見て、スクゥードもようやく状況を認識したようだ。
 お説教を受けているらしきタウとツェータ、お説教をしているらしきフィリア、他の女性達も起きあがり、バスタオルを体に巻くなり、体を拭くなり始めている。
 まだ入り口が開け放しになっていることや、そこに我々『男』が存在していることに気が付くほど思考は回復していないようだ。その動きに羞恥心と言う物は全く感じられない。
(怪我人は出てないようだな)
 その事実を確認し、安心する。
「なるほどね。…しかし了。あまり見ているのは失礼だぞ」
 先程の私の言動からすれば、常識的な回答だ。しかし、私の目線を追ってはいなかったようだ。
 まぁ、その方が手間が無くて助かる。わざわざ『怪我人はいない』等と説明することもあるまい。
「こんなもん、ジロジロ見る程若くないよ。チェリーじゃあるまいし……」
 言いながらスクゥードの方へ向き直る。全く、今更女の裸程度でどうにか……まぁ、なりはしたが普通はしない。
「……俺もチェリーじゃない。と言っても信じそうもないね、その目は」
 スクゥードは仰向けに寝そべる。まさか22にもなってそんなことは無いだろうが、この機会を逃すのも惜しい。
「そりゃあ女に抱きつかれたくらいで固まってるような奴じゃな」
 皮肉を含んだ笑みを投げる。先程の仕返しも兼ねて、少しイジメさせて貰おう。
「だろうな」
 スクゥードは苦笑し、首輪に手を触る。そのまま何かを考え始めたようだった。
 私も、もう一度浴室内を見回す。篠宮美沙季、玉響彰子、ハルカ・P・ウェイランド、フィリア、タウ、ツェータ……
 そこまで確認して、何かが足りないことに思い当たる。
(ミューとアルファは何処へ行った?)
 常時、彼女達は四人一組となって行動している。彼女達が個人として動くのは、せいぜい数名の男がデートに誘ったときぐらいだ。
 『家』と『バルツィバル』の女性メンバーの殆どがここにいると言うのに、彼女達二人だけがいないと言うのは明らかに不自然な状態である。
(そう言えば、さっき抱きつかれた時に足音が聞こえたような気がするが……)
 先程のパニックに乗じて外へ出て行ってしまったのだろう。状況から察するに、恐らくは裸のままで。
(まぁ、裸のままならそのうち誰かが捕まえるだろう)
 やや、呑気と言っていいかも知れない思考。
 実際、彼女達の行動の殆どは『子供のすること』で済まされてしまう。この基地内にいる限り、あるいは機構軍が関わってこない限り。彼女達の身柄の心配は殆ど必要ないと言うのが、現在の状況で最もありがたい事の一つだった。
「さてと……」
 立ち上がる。
 機構軍で無いのなら、俺達がここにいる必要はない。とっとと研究室へ向かう方が効率的だろう。
 振り返る
「なんだ、ありゃ?」
 思わず、間の抜けた声が出てしまう。部屋の入り口に、人間らしき物が落ちている。横になっているのでよく解らないが体型を見る限り、かなり背の高い男だろう。頬髭と、脇に転がるサングラスを見て。それがタウ達の父親役、マドラス・シノであると思い当たる。
「マドラスか。大変だったみたいだな。……ふっ、はは、あはははは」
 スクゥードが唐突に笑い出す。あまりに唐突なその笑いに、私はどこか薄気味悪い物を感じた。
 スクゥードは、ひとしきり笑った後。脚を振って一気に飛び起きた。
(明るい、不自然な程明るすぎる。まさか、こいつ)
「イカレちまったか?」
 思考が導き出した回答をそのままぶつけてみる。ついさっきまで自分達の行動に疑問を持ち、この世の終わりを迎えたかのような表情をしていた男が豪快に笑っている。
 そのギャップが余りにも激しく、私にはとても同一人物とは思えなかったのだ。
「イヤ、気が抜けただけだ。今、すごく気が楽になった」
 その言葉を聞いて、何となく納得する。機構軍だ、先行部隊だと気を張ってきて見れば、実際はただの子供の悪戯。これで緊張感を持続させろと言う方が難しい。
「もっともだ。これじゃ気を張ってるのが馬鹿馬鹿しくなってくる」
 首を回し、再びタウ達を見る。『父親』が倒れていることに気が付かないほど三人とも混乱しているのだろうか? いや、最初から心配してないだけかも知れない。
 時々、マドラスが気の毒に思えてくる。
「感謝しないとな」
 スクゥードが漏らす。無意味に意識が張りつめていれば、つまらない失敗を犯す危険性が増える。多少は肩の力を抜いた方が良いだろう。そう言った意味では、今回の事件は大きな収穫だった。
「感謝の気持ちは行動で表せ……よっ!」
 スクゥードの言葉を横目に、私はマドラスを抱え上げた。気絶してるだけだろうが、放置していくのはさすがにしのびない。
「俺だけが…か?」
 反対側からマドラスを支えながら、私の発言の角をつついてくる。
「だから研究室に向かうんだろ?」
 さも当然の事のように返事を返す。
 いや、当然の事なのだ。本当に肩の力を抜く必要があったのは、私だったのだから。彼よりも、私こそが感謝するべき立場にあるのだろう。
「そういう事。医務室によってからな」
 そう言ってスクゥードは、マドラスに視線を移す。無口で、一種独特の『渋み』を醸し出している男の顔も。気絶している今は随分とひょうきんに見えた。思わず苦笑が漏れ、口を開く。
「そうだな………風邪引かれちゃ困る」
 水流の直撃を浴びたのだろう、マドラスはずぶぬれだった。私達も濡れた裸体に抱きつかれたことでずぶぬれだったが、とりあえずは気絶しているマドラスだろう。

 スクゥードは笑っていた。私の口も笑みの形になっていた。奇妙な状態ではあったが、決して不快ではなかった。
(ああ、こんな状態がずっと続いてくれたら……)
 無意識にそう思っていた。そして、心のどこかでずっと続く物と思っていた……








































エピローグ1

エピローグ2

エピローグ3

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