臥龍伝説 〜戦鬼伝〜


第一話 第二話 第三話 第四話 第五話
第六話 第七話 第八話 第九話 第十話


其の壱 明日(あす)を捨てる者
登場人物 酒神了&臥龍郭斗&魔斗災炎

 明かりのない、和風建築。数十人の人間の入る巨大な空間に、一人の男が鎮座している。
 闇の中でも尚輝く、美しい銀髪をたなびかせたその男の名は、酒神了と言った。

「………来たか」

 酒神の背後に、一人の男が立っている。物静かではあるが、抜き身の日本刀のような気配を持つ男。名を、臥龍郭斗と言う。

「そろそろ来る頃だと思っていたよ。いや、そろそろ来て欲しいと思っていただけ……かもな」
「そこまで解ってるんなら話が早い。何時が良い?」
「せっかちな奴だな……そうだな、明日の夜、零時にここへ来い」

 当然のような顔で会話を交わす男達。その言葉にも、必要以上の物は含まれない。男は無言で立ち去る。

「さて、時間までにどう化けるかな? 臥龍郭斗……」

 後に残された男は、そう呟いた。

@       @       @

「なるほど。それで我輩の所へ来た訳ぢゃな?」
「あぁ、今のままでアイツに勝てるとはとても思えない」
「フム……酒神了か、確かに強敵ぢゃのう」
「俺は、強くなりたい。アイツよりも、誰よりも強く……そのためには、何も要らない」
「明日をも捨てる……か。科学者である我輩には理解できぬ思考ぢゃの」
「……………………」
「ぢゃが、我輩も丁度実験台が欲しいと思っていた所ぢゃ。そこに座って、これを飲め」

 そうして出されたのは、奇妙な色をした液体。

「何、ただの睡眠薬ぢゃ。ぢゃが、次にヌシが目を醒ました時には、誰にも負けることの無い男になっておる。それは保証してやる」

 男はしばしその液体を見つめていたが、やがて、一息に飲み干した。


其の弐 闇に立つモノ
登場人物 酒神了&臥龍郭斗

 闇の中、一人の男が立っていた。暗闇故、その表情は見えない。その肩が震えているのは、恐怖を感じているのだろうか?
 時の流れを感じさせぬ闇の中、永遠とも、一瞬ともつかない時が流れる。
 その身が時の流れを再認識しようと考え出す頃、その男は現れた。

「遅かったな」

 男は、ようやく現れた銀髪の男に声をかける。

「何、ちょっと宮本武蔵の真似をしてみただけさ」

 飄々と酒神が答える。

「フン……待たせた所で勝者は変わらない」

 酒神が明かりを灯す、自信に満ちた表情の臥龍が答える。

「フフ……まぁ、それはともかく、ここじゃ狭いだろう。俺達の決着には、もっと広い場所が相応しい」

 そう言って、酒神は表に出る。案内されたのは、道場の裏手にある何もない空間。砂が敷き詰められ、雑草一本生えることを許されていない。

「なる程、ここなら……!!」

 臥龍の言葉は、酒神の蹴撃によって阻まれた。後ろ回しからのコンビネーション。
 しかく臥龍は、難なくそれをかわし、二撃目を放とうとする酒神の鳩尾に拳を舞わせる。
 吹き飛び、一瞬だけ苦痛に顔を歪める酒神。
 臥龍は、最初の位地から足を動かしていない。

「本気で来い。酒神」

 仁王立ちの二人に、殺気と言う名の宣戦布告が叩きつけられた………


其の参 千日手
登場人物 酒神了&臥龍郭斗+α

「何なんだよ。コイツ等……」

 殺気をぶつけ合う二人を見て、山口狭士は呻くように呟く。
 二人の殺意は、殆ど物理的な刃に近い物となって、間にかわされ続けている。常人なら、無意識に、近づきもしないだろう。仮に、この場に居たとしても、即座に背を向けて逃げ出すか、気を失っているはずだ。

「これだけの殺気を、あの若さでどこに隠してやがんだよ……」
「それだけじゃありませんよ」

 先に到着し、観戦していた土佐僚が返す。

「私には見えます。二人の凄まじい殺気が、形となってもう何度も戦っているのが……」

 山口は慌てて土佐の方を見やる。土佐は、二人の間を凝視したまま動けない。その額には、氷のように冷たい汗が流れていた。

「初戦、酒神さんは青龍の構え、郭斗君は構え無し。
 無手からの高速拳を繰り出す郭斗君に対して、捌いた後のカウンターを入れる酒神さん。それが数度繰り返された後、郭斗君が渾身の一撃を放つ……それを読んでいた酒神さんは、肩口に掠らせながらもカウンターを合わせようとする……
 しかし、郭斗君の攻めはそこで終わらなかった。渾身の一撃すら囮にして、酒神さんのカウンターに合わせた左……言うなれば、カウンターに対するカウンター……
 対戦相手気絶による勝者、臥龍郭斗」

 淡々と説明する土佐。山口は、寒気を覚えた。

(殺気だけで喧嘩する奴等も奴等だが、それが見える奴も見える奴だ……化け物共め)

「第二戦、酒神さんは白虎の構え、郭斗君は再び無手。
 今度も郭斗君から仕掛ける。臥龍咆吼と同時に飛び、上下同時攻撃。対する酒神さんは、臥龍咆吼を避けず、最小のダメージで肉体を通過させる。そのまま上空に飛び、郭斗君の耳に両手で空気を叩き込む。信じられないほどの空気圧が三半規管を狂わせ、数秒の行動不能に陥る。そこで、腹部へ渾身の一撃。
 折れた肋骨が、肺、心臓を突き破り、郭斗君は死亡。勝者、酒神了……」

 土佐は、背筋が凍る感覚を受けた。酒神は、臥龍咆吼を真正面から受けて見せたと言うのだ。避わせないと解ると、臥龍本人の攻撃と、咆吼の威力を瞬時に見比べ、小さい方を取る。
 その理論自体はさしておかしい物ではない。しかし、相手は臥龍咆吼……臥龍の切り札である。それを受けてさらに反撃するだけの力があるなどと、誰に想像できるだろうか。

「第三戦、ここで郭斗君が初めて構えを取る。前羽の構え。酒神さんも、玄武の構えで対抗する。
 互いの防御態勢では、どちらも攻撃を仕掛けられず。しばしの間動かずにいます。最終的に、二人同時に仕掛け、拳一つほどの空間しか無い超接近戦に持ち込みます。
 消耗戦になり、最終的には体格差に軍配が上がります。対戦相手戦闘不能による勝者、臥龍郭斗」

 話の主役二人は、未だに見合ったまま、見えない戦いを続けている。

「第四戦、酒神さんは朱雀の構え、郭斗君はボクシングスタイル。
 初手に奥義『朱雀の嘴』を撃ちます。郭斗君はそれを受け流し、無防備な喉へ手刀を打ち込もうとします。しかし……」

 半呼吸分、土佐の言葉が止まる。信じられない物を見たような目をしている。

「できるんでしょうか? こんなことが……
 酒神さんの攻撃はそこで止まらなかった。手刀よりも速く、第二撃の左後ろ回し蹴りが手刀をはじき飛ばし、そのまま第三撃の右回し蹴りが延髄を砕く……脊髄が完全にへし折れ、死亡。勝者、酒神了」

 土佐が震えている。彼等が知る限り『朱雀の嘴』と言うのは、第二撃を考えぬ一撃必殺の攻め。しかし酒神は、その上を行ったのだ。

「それこそが、酒神了オリジナル『トリコロール』ぢゃよ」

 唐突に声がかけられる、声の主は招かれざる客。魔斗災炎。

「我輩とて一度人伝に聞いただけぢゃが、間違いなかろう」
「トリコロール……朱雀、白虎、青龍のコンビネーション……なるほどな」

 山口が納得したように頷く。だが、理論で理解できても。現実的に想像は出来なかった。
 全員が脊髄につららを射し込まれたような感覚の中、土佐が続ける。

「第五戦、これが今かわされてる死合です。
 互いに構え無しの自然体。
 郭斗君が臥龍咆吼を放ち、接近戦に持ち込む。酒神さんは咆吼を飛んで避わし、そのまま上空から踵落とし。しかし、郭斗君は再度臥龍咆吼。空中で身動きのとれない酒神さんはそのまま顔面にくらいます。そこへ追い打ちの乱打……ホンの数瞬の動きと、初撃のダメージが明暗を分け……対戦相手戦闘不能、勝者、臥龍郭斗……………!!!!!!!」

 土佐が途切れ途切れの言葉をそこまで紡ぎ終わった所で、空気が動いた。


其の泗 真実
登場人物 酒神了&臥龍郭斗&α

 空気が、悲鳴を上げていた。
 お互いに自然体からの蹴撃に始まる攻防戦が、人外の速度で展開されていた。
 頬を掠めた一撃は、風圧のみで皮膚を裂き、銃弾を思わせる手足が宙を舞っていた。
 体格に劣る酒神はヒット&アウェイに切り替え、蜂のような乱打を臥龍へと打ち込んでいく。しかし、それも臥龍の炸裂弾のような一撃で止められてしまう。
 互いに、決定打の存在しないままの攻防は、それのみで空気を震わせ、風を軋ませていた。

「おう、魔斗よぅ………」

 吹き出してくる冷や汗を気にする事も出来ず、山口は魔斗に声をかける。

「お前、郭斗に一体何をした? 確かにアイツは強い。だが、あの酒神と互角の勝負をするなんて……」

 山口の言葉が止まった、土佐が山口を押しのけて魔斗の前に出たからである。

「普通の肉体改造やトレーニングで、咬神流に対抗出来るとは思えません。咬神流は明日を捨てています。それに対抗出来るなんて……」

 咬神流は、秘技の会得によって常人を遥かに凌駕する力を得ることが出来る。しかし、それには数々の代償がつきまとう。
 多量の脳内麻薬の分泌による肉体の疲弊。脳内麻薬には肉体的依存性は無いが、一般の毒物など足下にも及ばぬ程の強い毒性を持つ。近年毒入りカレー事件によって騒がれた、砒素や青酸カリですら脳内麻薬の前では霞んでしまうほどである。
 また、細胞分裂の加速による細胞寿命の減少。
 肉体強度の限界を超えた力の反動。何かを殴ればその力で肩や拳の骨が軋む。
 咬神流と言う流派の、力の代償はあまりにも大きい。
 死んだ後ですら亡霊となり、何者かに殺されるまで戦いを求め続ける事となる。
 人間が、神の領域へと近づかんがために得たモノの代償は、死すら甘く見える程大きい。
 しかしそれ故に、その力は人間の及ぶモノではない。

 それに勝つのであれば、同じように明日を捨てる必要がある。

「一体、何をやったんです? 郭斗君は、一体どうなるんです!?」

 その言葉には、怒気が込められていた。

「なぁに、我輩は何もしておらぬよ……」

 天才科学者は、事も無げにそう言い放った。


其の伍 夢
登場人物 酒神了&臥龍郭斗&土佐僚&山口狭士&魔斗災炎

 酒神の蹴撃が、臥龍の右脇腹へと吸い込まれる。それに続く踵が、臥龍の延髄に衝撃を与え。返す刀の右拳が、鳩尾へ潜り込む。
 その攻撃に耐えた臥龍が、酒神の鳩尾へ右を打ち込む。そのまま数m先の松まで吹き飛ばされる酒神。
 戦況は互角だった。手数を考えれば、酒神の方が確実にダメージを与えているが、臥龍の一撃は骨を砕く威力を抱えている。

「どういう事です?」

 土佐が、警戒心を隠さぬままに問う。

「アレ程の凄まじい戦闘力、郭斗君が最初から持っていたとは思えません。それなのに、何もしてないとは……」
「それが、持っておったんぢゃよ」

 天才科学者は事も無げに言い放つ。

「こと戦闘に関して言えば、臥龍郭斗と言う男は紛れもなく天才ぢゃ、悔しいがの」

 天才科学者は、一時言葉を止める。他者を天才と誉める事が、この男にとっては屈辱なのだろう。

「元来、あの男は最初からあれだけの実力を内包しておった。ぢゃが、その実力が振るえなかった理由(わけ)があるのぢゃよ」
「理由……だと?」

 山口が呟く。問いかけではない。

「一つは、あの男が優しすぎた事ぢゃ。人を本気で殴って殺してしまうことを恐れておる。それでは実力の半分も出せぬ。
 もう一つは、あ奴が自らの肉体を壊すことを恐れておった事ぢゃな。あれほどの攻撃力であれば、当然肉体への反動も大きくなる。拳を壊すことを恐れては、人は殴れぬと言う事ぢゃよ。
 もう一つは、酒神了と言う男に対して苦手意識を持っていた事ぢゃな。酒神の奴、あれでただの力馬鹿では無いぞ。自分の力の見せ方を知っておる。そうすることで、自分の力を実力以上に見せて周囲の者に恐怖を植え付けておったのぢゃな。臥龍郭斗もまた、力を見せつけられる事によって。深層意識にあの男には勝てないと思いこまされた」
「それはつまり……」
「さよう。全ては臥龍郭斗の内面の問題ぢゃ。精神治療によってそれを取り除いてやれば、奴は本来の実力を発揮できる。酒神了に、匹敵する実力をな」

 土佐には、魔斗が『何もしていない』と言った理由が理解できた。
 肉体的な改造手術も、薬物投与も行っていないこの状況では、『自分が臥龍郭斗を強くした』等と言うことは、天才科学者のプライドが許さないのだろう。

「ぢゃが、それだけが理由では無いがの……」
「え?」
「それは後で話そう。今は……」

 魔斗の瞳は、先程から一点に注がれていた。
 酒神了と、臥龍郭斗の戦いに……

「まぁ、下手な言葉は無粋ってモンだな」

 三人は、その戦いに瞳を向けた。凶暴で、猛々しく、美しい、二匹の獣に……


其の陸 獣
登場人物 酒神了&臥龍郭斗

 酒神の蹴りが、臥龍の腹部を撃ち抜く。臥龍の拳が、酒神の顔面を貫く。それらは全く同時に行われた事だった。結果は、相打ち。互いに5m程後方へ吹き飛ばされる。
 ゆっくりと、まるで布団から起きあがるかのようにゆっくりと、二人は立ち上がる。
 静かに、息を吐く。臥龍が、口を開いた。

「準備は良いか?」
「あぁ。ウォーミングアップは終わりだ」

 当然のように、獣は言葉を紡ぐ。
 並の武道家ならば一瞬でケリが付いていたであろう戦いも、この二人にとってはただの準備運動に過ぎなかったのだ。驚愕を隠せない見物者達。一体、この二人の力の底は、何処にあるのだろうか?
 空気が、再び静寂を取り戻す。風が、流れる。
 周囲の広葉樹から、一枚の葉が、二人の間に落ちた。それが、二人の瞳を僅かに隠した瞬間。
 臥龍が、動いた。岩すら砕く蹴撃の洗礼。狙い違わず、酒神の首から上を吹き飛ばす。
 しかし、それは酒神の右腕によって逸らされていた。躰を捻り、もう片方の足を酒神の頭部へと移送する。しかし、体勢は十分ではない。

 バシッ!

 酒神の掌低が、臥龍の足を弾き飛ばす。
 一回転して着地する臥龍。つま先に体重を預け、両腕を微かに上げている。いわゆる、猫足立ちと言う奴だ。数mの間合いを、一瞬でゼロにし、神速の蹴りを放てる体勢。
 対する酒神は、腰を落とし、両腕を胸の前で組むように平行に並べる。その手は開かれている。咬神流六型の一つ、玄武。甲殻の如く身を守り、敵の消耗を待つ体勢。

「やはりそう来るか」
「お前もな」

 その言葉が終わるより先に、臥龍が再度仕掛けた。
 猫足立ちからの左後ろ回し蹴り、そこから右拳、右膝、左肘の順で、独楽のように連撃が放たれる。左肘、右開手、左肩、背中の順で巧みに受け流す酒神。
 次々と連撃を繰り出す臥龍に対し、巧みにそれを受け流していく酒神。

 美しい

 その様をこれ以上的確に表現できる言葉は存在しないだろう。
 二人の天才格闘家の動きは、あたかも、華麗な舞のようであった………


其の漆 結論
登場人物 天才&鬼才&……

 風の様な拳打が放たれ、清流の様な四肢がそれを捌く。
 二人の才人の動きは、まるで長年連れ添ったパートナーが踊るダンスの様であった。
 荒々しく、優雅で、そして何よりも美しい。

「このままなら、この勝負見えたな」

 山口が退屈げに呟く。

「見えたぢゃと?」

 いかにも胡散臭げに問う魔斗。

「えぇ、一見すれば互角の戦いですが、このままならば勝者は決まっています」

 平然と返す土佐。魔斗は、胡散臭さを通り越し、悔しげに顔をしかめている。二人には理解できて、天才科学者である自分には理解できないことがよほど気にくわないのだろう。

「あの二人は、拳の質があまりにも似ています……」

 魔斗は一瞬口を開きかけたが、すぐにやめた。
 この状況で、あの土佐僚が意味のない事を言うはずが無い。このまま話していけば、自ずと結論は見えてくるのだろう。そう思い直したのだ。

「静と動、水と油のように戦い方は違いますが、その本質は同じです。自らの流れの強さを誇示し、相手を自らの流れの中に巻き込む。いわば、エゴとエゴのぶつかり合い。究極の我が儘を相手に押しつけるのが、二人の拳の質です……」

 なるほど……と魔斗は納得する。
 確かに、二人ともその戦い方に違いはあれど、その本質は相手を叩き伏せるモノだ。今の戦いにしても、相手よりも己の方が強いことを誇示するためにやっているのである。
 だとすれば……

「エゴとエゴをぶつけ合う際に最も必要なのは、一歩も譲歩しない事ぢゃな?」

 己という激流に相手を呑み込むのが二人の拳の本質であるならば、呑まれる……付け入られる隙を作った方が破れるのは至極当然である。

「そう、相手に合わせた戦い方を選択した方……」

 山口が、腕を組み直す。その瞬間、地鳴りと共に、男が地面に叩きつけられる。

「酒神の、負けだ……」

 即座に体勢を立て直そうとして、動かぬ膝を叩きつける男を、臥龍郭斗が悠然と見下ろしていた………


其の捌 ヤイバ
登場人物 銘刀&呪刀&使い手

「お前は何をしていた?」

 押し殺された声。拳は握りしめられている。

「今のお前の力は、せいぜい全力の六割程度しか無い……たとえ今の俺でも、それぐらいは解る」

 冷え切った瞳には、侮蔑の色さえ込められている。

「昨日、俺が去ってからの24時間。お前は一体何をしていた?」

 酒神は、小さく笑った。

「刃を……研いで居たのさ」

 ゆっくりと、立ち上がる。

「お前が、魔斗の元で刀を抜いている間に、俺は、刃を研いで居たんだよ……」

 瞳は伏せられている。楽しげな、何かを思い出すような瞳。

「刃の切れ味を増すために。だが、お前が来た時、刃はまだ完全では無かった……」

 腰を落とす。視線は未だ落とされている。

「刀とは、ただ打ち上げ、反りを入れ、研ぐだけで完成する訳ではない」

 全員が、息を呑んで酒神の動向を見守っている。いや、言葉を待っている。

「人を斬った刃物が、切れ味を落とす……ありゃ嘘っぱちだ」

 一瞬だけ、剣士である土佐の気配が動く。が、山口に制止される。

「刀はな、人を斬った瞬間。血と、油でその刀身を汚した瞬間から、本当の斬れ味を発揮するんだよ……あぁ、自分はこのために産まれたんだな……そう、知る事によって……」

 周囲が、酒神の言葉の意味を、おぼろげながら理解する。
 この男は、自分の刃を研ぎ澄まし、それを更に自分と相手……酒神と臥龍の血によって、本当の斬れ味を発揮させると言いたいのだ。

「臥龍郭斗……お前は紛れもなく天才だ……」

 両手を握り、左腰のあたりで重ねる。

「おそらくは、俺以上のな……」

 居合い抜きに似た姿勢。いや、その姿、その気配は、今しも腰の刀を抜き放ち、目の前の敵を一刀の元に斬り捨てる侍その物だ。

「だが、惜しむらくは……」

 酒神が間合いを詰め、腰の刀を抜き放つ。

「お前という刀はまだ、血を吸ってない……」

 臥龍の胴が、宙を舞った。


其の玖 武器
登場人物 戦士達

 酒神の刃は、臥龍の胴を薙いだが、臥龍はバックステップでそれをかわした。
 3m程の距離を置いて、臥龍が構え直す。酒神も再び刀を納め、居合いの形になる。
 だが、酒神の手の中には、何も存在しない。

(今のは、かわしてなければ、間違いなく切れていた……)

 あり得るはずのない刃が、臥龍を退かせ、冷や汗すら流させていた。
 一流の武術家であればあるほど、人の殺気や闘気には敏感である。それによって、視界に入らない攻撃に対処出来るのである。
 その逆を付けば、殺気のみで攻撃し、それを避けさせる事も不可能ではない。だが……

(拳ならともかく、剣だと? 互いに素手だと判りきったこの状況で……)

 それが剣術家ならば、この状況も不可解な事では無い。
 無意識のうちに取った動作が、あり得るはずのない剣を振るわせる事も可能であるから。
 しかし、今の酒神は剣士ではなく拳士。剣等、あろうはずも無い。

「見えたんだな? 今の刃が……」

 それらの認識をまとめる前に、酒神は臥龍の足下に踏み込んでいた。いや、思考の深淵によって、外部の情報を遮断した一瞬を意図的に突いたのだ。
 再び放たれる無手の一刀。即座にその状況を把握した臥龍が、再びバックステップでかわす。だが、かわしきれない。
 臥龍の腹部が、浅く切り裂かれた。

「えげつねぇ真似しやがるな……どこにそんなモン隠してやがった?」

 心底憎々しげな表情で、臥龍が吐き捨てる。
 未だに酒神の剣は見えないが、切り裂かれた腹部が伝えている。
 酒神は、何か武器を持っている。
 互いに素手と思っていた自分が甘かったのも事実だ。が、それで酒神の行動が正当化される訳ではない。

「酒神さん! そのナイフを今すぐ捨ててください!!」

 やや激昂した声で、土佐が怒鳴る。
 決して口に出されたモノでは無いが、この戦いは絶対素手がルールのはずだ。そのルールを破るのであれば、黙っている訳にはいかない。

「おいおい、土佐さんまで何言ってんだ? 俺は武器なんか何も持っちゃいないぜ?」

 酒神の飄々とした台詞に、殆どの者が苛立ちを覚える。

「まぁ、これを武器と言うなら、確かに武器なんだろうがな」

 そう言って酒神が掲げて見せたのは、拳。

「テメ、ふざけ……!!」

 思わず激情を露にしかけた山口を、土佐が制する。

「これは……」

 土佐は、そこに何かを発見していた。


其の拾 髪
登場人物戦士達&傍観者達

「これは……」

 土佐が発見した物。それは……

「髪の毛?」

 闇の中で尚輝く、美しい一本の銀糸であった。

「別に、氣のコントロールはお前達だけの専売特許じゃないぜ?」

 氣……オーラや人間力等と、人によってその言い方こそ変化するが、その力は人間根本の生命エネルギーの様な物だと言われている。
 東洋武術では、これらを重視する一派が有り。その力をコントロールする事で病や怪我を癒し、老いを遅らせる等の事が可能だと信じられて居る。また、人体その物を強化する事も出来。極めれば、文字通り鋼の肉体を作り出すことも可能だと言う。
 コントロールの仕方によっては、このような髪の毛や自らの衣服を金属と同等かそれ以上の強度に高める事も十分可能ではある。が

「躯の一部だから、武器じゃない……って事か……」

 山口が、やや釈然としない表情で頷く。土佐は黙って身を引いた。
 肉体の一部とは言え、それは確かに手に道具を持たせたと言う事である。それを武器の使用とするかどうかは、個人の価値観が大きく物を言うであろう。
 山口は臥龍の顔色を確かめるが、臥龍は相変わらず無表情のままである。当の臥龍自身からのクレームが付かない以上、部外者である土佐や山口にはこれ以上文句の付けようは無い。元々、素手だとハッキリ口にした訳でも無いのだ。

 再び、場に沈黙が降り立ち、代わりに殺気が飛び交い始める。

「フフ……もっと楽しもうぜ。なぁ! 郭斗!!」

 その言葉と共に、酒神は手に持った細身の刃を投げつける。身を捻る事でやり過ごす臥龍。しかしその直後、臥龍は地を舐めて居た。


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夢ノ宮奇譚は架空の物語であり、そこに出てくる人名、組織、その他は実在するものとは一切関係ありません。

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